私の眼日記 ⑦ 網膜剥離【左眼】最終編
- 2019.04.13
- メガネの金剛
読者の皆様、こんにちは。
記事を書いているこの時期、まだまだ寒い日が続いています。
春まで、あと少しです。
寒暖差が激しいですが、お身体をご自愛し、健康でお元気な日を過ごして下さいね。
さて、今回も前回の続きです。
網膜剥離【左眼】の手術の為にオペ室に入り、今まさに執刀されようと言うお話からになります。
この様な内容がお好きではない方は、スルーして下さいね。
では、始めます。
数ヶ月前の右足骨折修復手術の時は全身麻酔でしたが、今回の左眼の手術は局所麻酔なので緊張も極限に達していました。
当時の眼科手術の中でも難易度が高い手術だったと思います。
まず、麻酔の注射が飛び上がるほど痛かった事が今でも忘れられません
(50歳を過ぎた頃に両眼の白内障手術も受けていますが、それは点眼麻酔でしたので痛みもなく、自然に目の辺りの感覚がなくなっていくようでした。それとは比べものになりません)
麻酔が効いてきたと思われる頃、何となく眼をグリグリ触られている感触のみが伝わってきます。
私自身は、手術台の上の照明ライトを見続けているばかりで眩しかった思い出があります。
麻酔を掛けられていても、何となく目の周りに痛さと重たい感覚がありました。
緊張もあって、歯を食いしばり、全身の力を振り絞って耐えていたと思います。
主治医の女性の先生からの術前説明で、今回の手術は「強膜バックリング術&冷凍凝固術」との説明を受けていました。
執刀して下さった男性の先生(のちに開業されて現在もお世話になっている先生です)の手術の最初の作業は、瞼の裏側から切開して眼球の裏側を露出させ、網膜に孔の空いた部分の眼球を凹ます為、白目にあたる強膜にシリコンスポンジを縫い付けている作業(強膜バックリング術)だと思われます。
この作業の間が一番辛かった時間と記憶しています。
これは現在の術式でも行われている方法です。
眼球の中の内容物であり、目のまん丸な形を形成しているゼリー状の『硝子体』と言うものが若い方のほうが弾力があり、その弾力のおかげで進行が軽度なことが多いため、若い方や軽度の網膜剥離の際はこの術式が採用されるというお話でした。
シニア層の方は、硝子体の容積が縮小して弾力もなくなりサラサラしてくる状態の方もあるそうで、硝子体が網膜から自然に剥がれて本人さんが知らないうちに硝子体剥離を起こしてしまっているケースがある為、硝子体を入れ替えてガスから水に置き換える「硝子体手術」が採用されているようです。
(私も50歳を過ぎてからの右眼の網膜剥離の時はこちらの術式でした)
強膜バックリング術によって無事に眼球が網膜の孔の空いた部分に接したあとは、液体窒素を使って凍傷を起こさせ、網膜とくっつける作業(冷凍凝固術)が行われたようです。
その時、オペ室では結構大変な作業だったようで、オペ室を見学の若い医師達の中の女性の先生が、気絶して倒れてしまったようでした。
周りでは手術を受けている当事者の私より、その先生に呼びかける「先生、先生~大丈夫ですか~???」との叫び声が聞こえてきました。
「おいおい、俺はどうなるんだよ~!!!」
と思いながら不安になっていましたが、執刀して下さっている男性の先生は真剣そのもので慌てているようなお声がありませんでした。
こういう手術を幾度となく経験していると思われますので、冷静に対処して下さっていたと思います。
先生が助手の方と協力して、「あっちをこうして・・・、向う側も、もっとしっかりと・・・」など、指示をだしながら、「オッケー、もういいだろう、上手くいった」などの声があった後、「縫合は交代するから、あとはやってくれ!!」と言う指示で、主治医の女性の先生に交代したと思われます。
これまでのオペ室の内容は、生々しい部分は割愛し、記憶にある内容を簡潔にまとめましたが、実際はもっと大変だったと思います。
約2時間半ぐらいだったでしょうか?
オペ室の先生がオペ室の先生方に「お疲れ様でした。これで終わります」の号令と共に私にも
「無事、手術は上手くいったよ。お疲れ様。部屋に戻ってゆっくり休んでね」
と声をかけて下さいましたが、疲れと脱力感と局所麻酔の覚めていない状況で声は出せず、先生には感謝の気持ちで軽く首を動かすのが精いっぱいだったと思います。
それからベッドで縛られていたベルトのようなものからも解放され、放心状態のまま病室に戻った頃は、また両眼とも眼帯で目隠しをされたままな感覚に気分が悪くなり、とても食事どころではありませんでした。
家族がベッドの周りに付き添っていてくれていたのはわかっていたので時間が経ってから、顔に何かが流れているのが感覚で分かったので何か尋ねてみますと、少し出血があった様です。
そして、また2週間程度「砂枕」で固定されながら安静のまま過ごしました。
その後、術後検診と目薬の治療をしながら眼球の抜糸を終えた頃、ようやく安静度が緩められて動くことも許可されるほど順調に回復することが出来ました。
そして、ついに先生の許可が出て歯磨きや洗髪を許されました。
特に洗髪は術後の眼にお湯がかからないように看護師さんに付き添われながら、真夏の8月に約1か月ぶりに頭を洗ってもらった時のその気持ちの良かった事、今でもしっかり覚えています。
ベットで痒くて痒くていつも頭を揺らさないように掻いていましたからね!!
ベッドの上は、いつも抜けた髪の毛だらけでした。
頭が激しい動きをしない事を条件に、少しづつベッドから動くことを許され、ついに退院の許可が下りて病室の仲の良かった男の子ともお別れになりました。
先に退院してしまう事は申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、
男の子の精いっぱいの私へのお祝いとして「チョロQ」のおもちゃをくれました。
その優しさに感動したことは、今でも決して忘れません。
しばらくは走ったり重たい荷物を持ったりせず、目に力がかからないようにしながら養生していました。
和歌山県の郡部の田舎から電車とバスで和歌山城近くの県立医大病院まで、外来での経過観察の為に通院していましたが、術後の度数が落ち着いた後、処方箋を発行して貰いやっと眼鏡を作製致しました。
幸い大きな度数変化が無かったので、術後もすぐに眼鏡に慣れることが出来ました。
バイク事故の右足の手術と、今回の左眼の手術との入院によって大学1回生の前期を全て欠席してしまったので、後期は全ての授業に出席するつもりで教授にお願いに行ったり、試験に代わるレポートを提出したりして何とか留年を免れる事が出来ました。
今回の記事で、ひとまず私の左眼の網膜剥離の記事は終了になります。
次回は、また私の趣味である「無線」の記事を交えながら、50歳前後に受けた「白内障手術」の前段階の記事に移る事としますね。
今回も、文字数の多い私の記事を最後までお読みくださり、本当にありがとうございます。
次回の記事も是非また読んで下さいね。
お楽しみに~ (@^^)/~~~
私の眼日記 網膜剥離左眼編の記事はこちら
網膜剥離【左眼】最終編 (今回の記事)